60周年特設ページ

JEIの歴史 ~60周年を振り返る~

創業期

  • 1962年〜

    堺市松屋にて創業

    創業者 宮崎長生は、車のブレーキに使うセンサー技術を実用化させたい。タイヤがすべらないようにするセンサーのシステムを作りたい。と学生時代に思いついたのが原点だった。 電気錠は当時輸入品ばかりだったが、日本の独特の気候に合うものがなく、故障しがちだった。そのことから、「日本に合った電気錠」の制作を行う。 ブレーキがロックせずに最短距離で一ミリでも手前で止まれば命を助けられる、または軽傷で済む。 例えば、深夜 火災や地震が起きた時にでも、普段は閉まっている扉が、災害時自動的に解錠することが出来れば、早く逃げたり、助け出すことが出来る。 直接助けることは出来ないけれども、製品や技術を通して守ることは出来る。 我々の「生命(いのち)の安全を守る」という思いの根本は創業当時から変わっていない。

  • 1963〜65年

    泉佐野市民会館に日本初の非常口一斉解錠システム(EDシステム)納入
    大阪市上野芝病院に日本初の病院向けEDシステム納入

    日本初の導入を皮切りに、「人々の生命(いのち)の安全を守る」の想いが形になっていった。

近年~

  • 1981〜99年

    1981年 自社ビルが完成
    1999年 この時期は業績が伸び悩む時期であった

    しかし中小企業向けの補助金を受けるキッカケもあり、新商品を企画。
    製品の完成度を高めることが可能になり再び業績も伸び始める。
    モットーは不況になった時こそ新商品開発に力を入れる。ということだった。

  • 2000年〜

    業績が安定してきた中、2008年にはリーマンショックが起こる

    その影響は会社にとっても大きいものであった。リーマンショック以降、徐々に売上が下がっていく。
    同時に辞めて行く社員が増え、内部体制も崩れかけていた。
    そんな絶体絶命の危機の中、代表が行ったのは「人として正しいことは何か?」
    稲盛経営哲学を徹底的に全社員に落とし込むということ。
    山之口 良子代表 曰く、今思えばあの時社員は不信感もあったと思いますよ。ただ「これをやったら会社が良くなる!」ということだけ信じてやっていきました。
    ちらほら辞めて行ってしまう社員がいる中でも多くの社員が付いてきてくれた。だんだん会社の雰囲気も変わり、業績も不思議なことに伸びていきました。「企業は人なり」を実体験した瞬間でした。

  • 〜2012年

    会社の危機を乗り越えたV字回復

    2009年1月 大阪ものづくり優良企業賞2008 優良企業賞を受賞。
    2009年2月 経済産業省『地域産業資源活用事業計画』大阪市"建築金物"で初の認定。
    2011年10月 引戸用採風電気錠ケアロックWL-131が、高機能を備えた電気錠としてグッドデザイン賞を受賞。
    2012年11月 経済産業省 近畿経済産業局『関西ものづくり新撰』に選定。
    2012年12月 日刊工業新聞 第30回『優秀経営者顕彰』と数々の賞を取るほど業績は回復していた。

  • 2013年

    盛和塾 稲盛経営者賞受賞

    2013年7月 、代表  山之口 良子にとって、最高の瞬間が訪れる。
    『盛和塾 稲盛経営者賞受賞』これまでの様々な苦労・努力が実った、評価された瞬間だった。良い時も悪い時も全て試されている。悪い時こそチャンス。
    代表の山之口が一番理解し、従業員に伝え続けたことが大きな結果につながったのであった。

  •  

    2013年

    1月 2015年度「関西経営品質賞 ブロンズ賞」受賞
    12月 第1回 大阪サクヤヒメ表彰「活躍賞」受賞

  • 2013年

    1月 新しい社名、新しい社屋で創業開始
    そして未来へ

未来~

~今後のJEIへの想い~

日本一、そして世界へ ともに羽ばたく若者を求めています!

会社があったから私はここまで来ることが出来ました。
ゼロから生み出すエネルギーは相当なものです。
私は会社と仲間がいるところからのスタートでしたから。
ですので、私自身は父と母に感謝しながら、
今までお世話になってきた人たちにとにかく返していきたい、
社員を幸せにしていきたいという想いだけですね。

会社としては、電気錠日本一になる!と掲げています。
まずは引き戸の電気錠で、次に開き扉の電気錠で日本一になるつもりです。
その後は世界展開を考えています。
海外の話もありがたいことに既にあるのですが、
まだ国内をやり切っていないので、国内をやり切ってから!と考えています。